実家に戻ることについて無意識に、
『父親のため』とか、『母親のため』だと思っていた。
しかし、今朝、自分のためだったと氣づいた。
そして、この生の流れを信頼し、身を委ねることができた。
4月10日
8年ずっと癒してきて、最後に残っていたのが父親への恨みだったことに氣づいた。
そして、それを握りしめ掴んでいたのは自分だったという事に氣づいた。
それをそのまま受け入れることで、それが癒された。
当時の記事はこちら。
https://ameblo.jp/devaambho/entry-12367389878.html
その後、表層意識では、父親との関係を修復するために実家に戻ってきた。
その中で、父親は、
自分と他人は違うという事が認識できず、
自分の考えが正しく、
妻や子や他人は自分の考えに従うべきだ。
と信じ込んでいることが観えてきた。
そして、それは想像以上で、打ちのめされるような感覚だった。
そして、罠にハマって抜け出せないように感じた。
その時、リーラスペースのKiyotakaのセッションを受けて、
氣づいた意識で在ることよりも、
父親との関係を修復することを優先してしまっていた
事に氣づかせてもらった。
当時の記事はこちら。
https://ameblo.jp/devaambho/entry-12380009314.html
そして、氣づいている意識で在ることを第一に過ごす中で、
父親との問題はスッカリなくなった。
父親が自分の考えを私に押し付けてくることは、スッカリ無くなった。
父親と一緒に居る時も、
いつもそのままの自分で居て、
そのままなんでも話せるようになった。
とは言え、彼の中には、
『自分の考えだけが正しくて、他のすべての人は間違っている。
他人は、自分の考えに従うべきだ。』
という間違った信じ込みは残っている。
それは、他の人たちには依然続いている。
しかし、私との間ではそれは起こらなくなった。
今度は、母親とのことが浮かび上がってきた。
母親は、私や妹たちを味方にして父親との対立の原因を作っていた。
幼い頃から味方だと思っていた母親が黒幕だった。
これは受け入れ難かった。
この事は、2002年頃に参加した、バート・へリンガー氏のファミリーコンステレーションで、そのカラクリの全体像を見せてもらったが、実際何がどう影響しているのかは漠然としたままだった。
よって、その呪縛から抜け出せないままだった。
しかし、両親と一緒に暮らしてみて、彼らのやり取りを間近で観ていて、そして、彼らの私への接し方を観ていて、そのカラクリが観えた。
如何にして母親が黒幕になっていたかが手に取るようにわかった。
母親は、
『妻や子は、自分の考えに従うべきだ。』と自分の考えを押し付けてくる夫に対し、
腹の中ではそう思ってないのに、頭で腹の中の感情を抑えつけ、表面的に父親に合わせていた。
時に対立してもすぐに諦め、表面的に父親に合わせていた。
結果、腹と頭で分裂し、ねじ曲がり、表面的には良い人を演じながらも、腹の中の感情が撒き散らされ腹黒い生き方をしてきていた。
そして、父親がどんなに酷いのか、自分がいかに可哀想な犠牲者なのか、を子供たちに話していた。
それを真に受けた私は、父親に対立していた。
結果、私と父親との対立が激しくなり、15歳にして
『このままこの家にいたら、父親を殺してしまうか、自分が潰れてしまうかどちらかだ。』
という状態になり、家を出る選択をしたのだった。
これは、離れて暮らしていても氣づけず、癒すこともできないことだった。
一緒に暮らしてみて初めて氣づくことができた。
しかし、
・自分の生き辛さの原因は父親だと思っていたのに、それを背後でさらに苦しくさせていたのは味方だと思っていた母親だったということ。
・母親の頭と腹で正反対な有り様
これは、なかなか受けれることができなかった。
そして、そんな母親を責めてしまっていた。
その後、不思議なことが起こった。
6月27日、お通夜から帰ってきた時、父親が玄関前で転んでしまった。
痛みを訴える父親を時間外診療に連れて行ったら、右大腿骨の角が剥離骨折していた。
そして、翌朝、受診すると入院となった。
そして、母親との問題に直面せざるを得ない状況がやって来た。
そんな土曜の夜、ちょうどSさんとの交換セッションだった。
しかもタイムリーなことに、今回は私が癒してもらう番だった。
そして癒されたことで、母親のハラで思っていることとしていることが違う有り様も問題ではなくなった。
そして、母親と一緒に居るときも、
いつもそのままの自分で居て、
そのままなんでも話せるようになった。
そう、父親も母親も彼らを変える必要はなかった。
自分の中で反応している感情や間違った信じ込みに氣づいて癒されたことで、
『父親のためでもなく、母親のためでもなく、自分のために戻ってきた。』
『本来の自己を覆い隠していたものに氣づいて癒し、本来の自己へ戻っていくために、実家に戻って来たのだ。』
という理解が起こった。
そう、それは、離れて暮らしていては氣づけないものだった。
離れて暮らしている中で癒せるものはすべて癒した結果、
両親と一緒に暮らすことで、離れていては氣づけないたくさんのものに氣づいて癒すように導かれたのだと氣づいた。
そうしたら、
戻って来たことで罠にハマって抜け出せないように感じていたことや、
両親と一緒に暮らすと、彼らに時間とエネルギーを吸い取られ自分の事ができないと感じ、
抜け出さなくてはいけないという焦りを感じていたのも
キレイに消えた。
そう、どんなに大変な両親であっても、彼らを変える必要は無い。
ただ自分の中で反応している傷や感情や間違った信じ込みに氣づき癒してあげればいい。
そうなったら、彼らが同じ有りようでも全く問題ではなくなる。
それどころか、各チャクラのエネルギーが癒されバランスされ、中心に定まり、
すべてのチャクラを通ってエネルギーが上昇し循環したなら、
彼らも本来の在り方に戻って行く。
そう、本当に他人を変える必要は無い。
他人を変えようとすることは、スクリーンに映った映像を変えようとするようなこと。
しかし、どんなに頑張っても、スクリーンに映った映像は変わらないように相手も変わらない。
しかし、映写機の中のフィルムが変わればスクリーンに映った映像が変わるように、自分の中で反応していた傷や感情や間違った信じ込みが癒されたら、相手も変わる。
まるで台風一過の青空のようだ。
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